鳴門の塩田

鳴門に初めて塩田ができたのは、約400年前の慶長4年(江戸時代)。鳴門撫養地区で作られる塩は「斎田塩」と呼ばれ全国的に知られていた。
潮の干満を利用する「入浜式塩田」での作業は、太陽がてりつける中でおこなわれる大変な重労働であったという。
この日本独自の製塩法は後に、より生産性の高い「流下式塩田」に変わる昭和30年代後半頃まで続けられた。
なお、昭和27年度から32年度にかけておこなわれた「入浜式」から「流下式」への転換工事作業は、総費用で8億円強と言われている。
昭和46年から、イオン交換膜法による近代化した製塩法に変化し現在もこの工法である。


「写真集 鳴門塩田史」より