俊明社長が、昭和62年に、徳島県議会議員当選。 これを期に、泰地氏が四代目社長として就任した。 その数年後、日本経済はバブル崩壊を迎えることになる。 景気低迷ムードが進行していくなか、泰地社長は営業の強化とIT化の推進を掲げ、亀井組の新しい活路を切り開いた。