明治39年10月、亀井春吉(初代社長)塩田の整備事業を主業務として鳴門市撫養町林崎にて事業を開始する。 当時の鳴門は「入浜(いりはま)式」といわれる広大な塩田が街中に広がり、全国生産量の1割を占める一大生産地だった。
「目で見る 鳴門・板野の100年」より